大人は楽しいぞを伝えよう
どうして夢を描く子どもたちが少ないのだろう?
僕が幼少の頃は、楽しそうにしてキラキラした眼差しで夢を語り、笑顔で遊んでいる大人が多かった。
しかし今は…
子どもが未来に夢を描かないのは、大人が楽しんでいないからだと僕は思うんだ。
大人が夢を語り、今を楽しんでいたら、笑顔で楽しく生きてたら
「僕も早く大人になって楽しみたい♬」
って間違いなく子どもは、早く大人になりたいって思うはず。
今の大人ってどんな感じなんだろう?
今の大人の大半は… いつも誰かに対して、愚痴や文句ばかり言ってる人が多いよね。
上司に、
部下に、
同僚に、
パパに…
それはいつも本人がいないところで…
夢を誰かが語っても、その時はウンウンって聞いているのに いなくなった瞬間に
「そんなの無理だよ。出来るわけないよ。時間ないし…。」
あるいは、面と向かって子どもの夢さえも否定する。
大人は子どもたちに何を伝えたらいいんだろう?
いつもそんな愚痴や文句ばかり言ってる大人になりたいだろうか?
もし君が子どもで、夢を否定されたら?
そんな大人になんか、誰が考えたってなりなくないと思わないかい?
子どもたちが、夢を語る時に僕はいつも伝えていることがある。
「もし誰かが君の夢を、無理だと言ったら、そんな大人や仲間たちを信じなくていい。その人たちは君に成功して欲しくないから言っているんだ。そんなの仲間じゃない。やってみようじゃないか。きっとできるさと夢を語れる仲間を周りに増やしていこう。」
そんなことを話して、子どもたちの夢を大切に聴くことにしている。
僕たち大人たちは、今をどうに生きたらいいのだろう?
それは、どんなところでも、自らいるところで、与えられた環境で…
自ら楽しんで見せて、笑顔で楽しんでいられるのが大人だということを肌で感じてもらえるようにすることだと思う。
「いいか子どもたちよ、大人は楽しーぞ♬ 夢は、必ず叶う。夢の途中も、失敗もまた楽しいぞ♬」
って
僕たち大人の一人ひとりが、先ずあなたが伝えよう!
身の丈で、、、
背伸びしたってしゃーないし
身の丈で歩いていこう!
少し止まりながら
後ろを振り返りながらでもいい
その日その日の自分のペースで
自分のベストで、、、
ゆっくりでいい
駆け足でもいい
好きなように歩めばいい
憧れるあの人になれなくても、、、
なろうとしなくてもいい
憧れるあの人だって
あなたになれないんだから
そう、お互いにオンリーワンなんだ!
SMAPかっ😆
少し背伸びしてみたり
手を出して失敗してみたり、、、
出る杭のように自己主張してみたり
引っ込み思案を気取ってみたり、、、
好きなように
やりたいように
自由に、、、
やってみたらいい
やめてみたらいい
すべて、必要な経験だから
そんだけー
イライラの裏側に隠れているもの?
イライラの裏側に隠れているものは?
イライラの裏側に隠れているものは一体、何だろう?
それを意識できればすぐに怒りの言葉を回避できるのではないだろうか?
そんなことを思いちょっとだけ書き記してみようと思う。
高過ぎる期待
人はどうして、イラっとしたときに怒りの言葉をぶつけてしまうか?
人は、イラっとすると考えるまもなく相手に怒りをぶつけてしまう。それは、人間関係が崩れてしまうだけではなく周囲からも孤立してしまうことにもなりかねないと分かっているのに、ついその感情を言葉にして発してしまう。どんなにあなたが激しく怒ってみても、神様はあなたのためだけに他人を存在させているのではないということを理解しなくてはいけない。理解するためには、何を知る必要があるのだろう。
あなたは、何にイラっとしたのだろう?
「資料を忘れた。」「会議に遅刻した。」「頼んだことをやっていなかった。」「約束を忘れた。」「どこかへ勝手に行った。」「仕上げてなかった。」「買い物を忘れた。」「宿題をやらなかった。」などなど、、、
その誰かに対してイライラした感情の背後に何が隠されているのだろう?
資料を作っておいてくれると思ったのにやっていなかった。会議にきちんと出席してくれると信じていたのに遅刻した。ちゃんと頼んだことをこなしてくれると思ったのにできていなかった、、、などなど、そこには、相手に対する 「高過ぎる期待」が隠れているんだよね。そう、自分の勝手な思い込みで「〇〇のはずだ」「〇〇であるべき」と勝手な期待を設けているんですね。そして、この勝手な「期待」が裏切られることによって人はイラっとする。だから、相手を責めるのではなく
「自分の「期待」が何だったのか?」
「自分勝手な思い込みだったのか?」
「事実だったのか?」
「自分はそれに伴うものを、人に与えたのか?」
をちょっと深呼吸*1して考えてみるといいですね。
期待していたものが分かったらどうする?
その「期待」をちゃんと相手に伝えていなかったのなら悪意はなかったんだときちんと伝えた方がいいね。そして、何が悪かったのかと考えるより次からは、何を伝えて、どうすれば結果がよくなるかを考えればいい。
あなたが、相手に期待したことを、素直に伝えてみる。
「あなたならその資料を忘れずに持ってきてくれると信じていたのに、ちょっとがっかりした。」
「いつも時間にきちっとしているあなただからまさか遅刻するなんて思ってもいなかったので、あなたが遅刻してちょっとびっくりした。」
そんな、あなたの期待が裏切られて感じた素直な気持ちを、そのままに伝えてみたらいい。もしその場で伝えられなくても、素直な感情が伝えられるなら後日でも、時間差になってしまっても伝えた方がいい。
そして、仮にあなたの気持ちが伝わらなくても、伝えたことが素晴らしいと自分を褒めてあげよう。そんな気持ちで接していると必ず関係は好転してくる。
*1:怒りの感情が消えるのに必要な時間は6秒と言われてます。
走るなメロス、、、
「メロスは、太陽の沈むより10倍のスピードで走った。」
っていう一節があるのをご存知の方は多いかな?
僕も何の気なしに読み過ごしていたけど、なんとこれを研究した先生がいたそうだ。
その先生曰く、科学的に「太陽の沈むより10倍のスピード」を分析すると、
時速1300Km/h
マッハ11
のぞみの44倍
おおっ!メロス速すぎる^^;
それだけでも驚きなのに、なんと、本当にこれが起きたら衝撃波が起こるそうだ。
そして、半径2Kmのガラスが割れるほどの衝撃だそうだ。
うーん、メロスは凄すぎる(笑)
100m世界一のウサインボルトは、9.69秒。
果たしてメロスは?、、、なんと、0.02秒と言うことになるそうだ。
すごいぞメロス\(^o^)/
そこから導き出した結論は、「メロスよ走るな(笑)」ってことになる。
ただ走ったという情景を「ものすごいスピードで走った。」というところを、太宰治は前述のように表現したんだね。
あまりにも速く走った情景を表現するのに、「太陽の沈むより10倍のスピード」と。
「科学」ではなく「文学」とはそういうものなんだ。
モノクロの写真が「音」や「香り」までも感じさせるよに、、、
言葉にも奥深い、不思議な力があるんですね。
同じ一言でも、人を救ったり傷つけたりしてしまうのが「言葉」なんですね。
だからこそ、僕たちは「言葉」を大切にしないといけないね。
好き勝手言うてるように見えるかもやけど、、、これでも僕、、、小心者です(笑)
ちゃうかー
最後だとわかっていたなら…
最後だとわかっていたなら…
僕は、人生で二度ほど、素直な気持ちを伝えられなかったんだ^^;
今、心に思う人がいる。また会いたい人がいる。
だからみんなに伝えたい。
あなたの優しい笑顔を見るのが最後だとわかっていたら…
僕は、あなたを抱きしめてキスをして、そしてまたもう一度呼び寄せて、ぎゅーっと思いの丈を込めて抱きしめただろう。
あなたの喜びに満ちあふれた声を聞くのが最後だとわかっていたら…
僕は、その一部始終をビデオに収め毎日毎日、その笑顔を繰り返し見ただろう。
きっとあなたは
「そんなこと言わなくてもわかってる。」
って言ってくれるかもしれないけれど
あなたに言えるのが最後だとわかっていたら…
一言だけでいい
「あなたを愛している」
と僕は、伝えただろう。
確かにいつも明日はやってくる。
でもそれが僕たちの勘違いで今日ですべてが終わるのだとしたら…
僕は今日、心のそこからどんなにあなたを愛しているか伝えたい。
僕たちは 忘れないようにしたい…
若い人にも、年老いた人にも明日は誰一人として約束されていないのだということを。
そう、愛する人を抱きしめられるのは 今日が最後になるかもしれないということを。
明日を来るのを待ってるのなら、今日でもいいはず。
いつでも言えるのなら、今でいいはず。
もし明日が来ないとしたら、微笑みや抱擁やキスをするためのほんのちょっとの時間を、どうして惜しんだのかと。
忙しさを理由に、その人の最後の願いとなってしまったことをどうしてしてあげられなかったかと。きっとあなたは今日を後悔するだろうから。
だから今日、あなたの大切な人たちをしっかりと抱きしめよう。
そして、その人を愛していることを
いつでもいつまでも大切な存在だということをそっと伝えよう。
「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を持とう
そうすれば
もし明日がこないとしても、あなたは今日を後悔しないだろうから…
そして
完璧じゃなくてもいい
一言でもいい
一度で伝わななくてもいい
一生かけて素直な気持ちを伝えて続けていってみよう!
明日が当たり前のように来ることは奇跡なんだから。
褒めるのは難しいけどね、、、
人の生き方って、、、
非難するよりも認めるほうが
実は、難しかったりするんだよね。
何か言いたくなるようなその人の行動も、、、
その人には
その人なりの葛藤があってその上での行動で
できる限りの一生懸命で、、、
生きていたりするんだよね。
だから
勝手な思い込みで相手を、決めつけちゃいけないよね。
価値観の押付けや勝手なジャッジは要らないよね。
関係をより良いものにするには、、、
正そうせずに、分かろうとすることが大切だね。
対立した時のあなたが持っている種はなんだろう?
対立した時のあなたが持っている種はなんだろう?
「戦い」ですか「協力」の種ですか?
あなたが誰かと対立したときに 「そうじゃないよ」 と自分の意見を押し付けようとしても、たとえあなたの意見が正しいものであっても反対意見を持っている人の心には届かない。
なぜならいま相手は、あなたの意見とは真っ向対立している考えを、 「自分の意見の方が正しい」 と思っているから。
お互いに自分の意見の方が正しいと対立したらどうにもならないのだろうか?
意見が対立しているときのあなたの前提はなんだろう?
どうしても解決策、妥協点を見出したい時のあなたの前提は「戦い」ですか?それとも「協力」ですか? どちらの種だろう。
戦いだとしたら
「あなたの意見が間違っている、僕の方が正しいからあなたが従うべきだ。」
と互いに譲らない最悪の状況になってしまう。
協力だとしたら
「そうか今あなたはそうに思うんだね。」
と相手の意見を飲み込んで受け入れる事ができる。
自分の意見を受け入れられた場合と否定された場合で、相手に対して感じるものが変わってくるよね。 意見が対立している時というのは、互いの意見の方が正しいと思っているから相手が見えない。相手の立場に立ってみなければ相手の思いや感情は分からない。
だから大切なことは、相手の立場に立って、相手より先に自分の方から相手の意見を一旦、受け入れる。 すると、相手にもこちらの意見を受け入れるスペース、そう心の余裕ができるんだ。
一旦相手の意見を飲み込んだ時の次にかける言葉は何がいいだろう?
「そうなんだね、なるほど…、それも良い案だと思うよ。僕は、こう考えているんだけど、こんな案はどうだろうか?」
どちらが正しいのかではないんだよね。
お互いにとっては、
「自分が言っている意見の方が正解だ、正しいんだ。」
と思っているだけなんだよね。
意見が対立しそうな時に大切なことは、
「相手を正そうとする」のではなく 「相手を分かろうとする」事が解決の第一歩なんだ。
あなたの前提が「戦い」だと意見はぶつかり合うだけだけど
あなたの前提が「協力」になれば必ず良い結果に導かれる。
対立した時にあなたはどちらの種を開花させたいですか?
戦いの種ですか?協力の種ですか?
対立者は、良き協力者だ!