湘南の心理カウンセラー新居 厚人のブログ

日々のアレコレ感じた事や日常に役立つ心理学的な話

「許し」について

許し…

自分を許す、他人を許す…

なかなかできないという人多いよね。でも本当にできないんだろうか?僕はできないんじゃなくて許さないんだと思う。

「許す」じゃなくて「許さない」を選択しているのはまさに自分自身じゃなかろうかと思うんだよね。許さないための条件を何かと考えて、つけてみて許すことは不可能みたいに自分を納得させているだけ、、、

 

脱がせ屋えりちんがfacebookで「許し」について投稿してたので。。。

まさにこれやと思うのでえりちんに感謝の気持ちを込めてちょっとシェアしてみた\(^o^)/


いろんな思考でぐちゃぐちゃになってる状態のヒト、、、

緩めるや許しってとっても大切なんだけど、難しく考えている人多いよね。

僕もつい思いグセで思考してしまうことあるけど

それでもええねんて。

なんでもあり、どうでもええねんて!

まっ、分かりやすくて、涙出るから

読んでみてえりちんすげーから\(^o^)/


facebookのえりちんの記事

◯◯できたら、自分を許すって思ってる人へ。


就職したら、自分を許す。
社会に出られたら、自分を許す。
結婚したら、自分を許す。
自立したら、自分を許す。
やりたいことを見つけたら、自分を許す。
お金を稼いだら、自分を許す。
薬を止められたら、自分を許す。
朝起きられたら、自分を許す。
子どもを叱らなかったら、自分を許す。
約束をちゃんと守れたら、自分を許す。
世間に恥ずかしくないように、ちゃんとした人間になったら、自分を許す。


そしたら、親に連絡する。

実家に帰る。

親戚に顔を見せられる。

友達に連絡できる。

あの人に報告できる。

あの人に会いに行ける。

って、思ってるなら、


それ、してなくても、自分を許してみー。


する前に、自分を許してみー。

もう許された、っていう前提ならどうするか?

って考えて、行動してみー。

もしも、今のあなたのところに、

まだそれができていないあなたのところに、

突然お母さんがやってきて、


『べつにもう、いいよ。

そんなん、どーでもいいよ。

そんなことは、どーーーでもいいの。


ありがとうね。

よく生きててくれたね。

今ここにいてくれるだけで、嬉しいよ。

あなたが生まれてきてくれて、

幸せだよ。誇らしいよ。


だから、もうそんなん、どーでもいいから』


って言ってくれたら、どうだろう。

誰かに許されるように、

誰かに許してもらうように、

誰かが許してくれるように、


自分で自分のことを、許すんだよ。


まるで他人のように。


それができてなくても、

全然できてないのに、

親に連絡してみー。

友達に、兄弟に、あの人に、


あははー。

まだ、全然できてないんだけど、

連絡したいからしちゃったー( ´ ▽ ` )

って、連絡してみー。


はい、もう許します!って神様に言われた前提で、


やりたいことやってみー。


一番許してないのは、自分なんだな。

一番気にしてんのは、自分。

誰からも許されないと感じているならなおさら、


自分で自分を、一番最初に許してみー。


そしたら、世界がひっくり返るよん\(^o^)/


おわり。

はい、自分を許すってこーゆーことかっっ
Σ(・□・;)

って思ったらシェアして周りにも教えてあげましょーね。

みんなで許すのだ(=´∀`)人(´∀`=)

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コメント・シェア・友達申請・フォロー・転載・パクリ等ご自由にどうぞ。あたかも自分が考えたように、ネタに使ってもらってぜんぜんオッケーです (・∀・)

 


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ってことでシェアしてみました。

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最後だとわかっていたなら…

最後だとわかっていたなら…

僕は、人生で二度ほど、素直な気持ちを伝えられなかったんだ^^;

 今、心に思う人がいる。また会いたい人がいる。

だからみんなに伝えたい。

 

あなたの優しい笑顔を見るのが最後だとわかっていたら…

僕は、あなたを抱きしめてキスをして、そしてまたもう一度呼び寄せて、ぎゅーっと思いの丈を込めて抱きしめただろう。

 

あなたの喜びに満ちあふれた声を聞くのが最後だとわかっていたら…

僕は、その一部始終をビデオに収め毎日毎日、その笑顔を繰り返し見ただろう。 

きっとあなたは

「そんなこと言わなくてもわかってる。」

って言ってくれるかもしれないけれど

あなたに言えるのが最後だとわかっていたら…

一言だけでいい

「あなたを愛している」

と僕は、伝えただろう。

確かにいつも明日はやってくる。

でもそれが僕たちの勘違いで今日ですべてが終わるのだとしたら…

僕は今日、心のそこからどんなにあなたを愛しているか伝えたい。

僕たちは 忘れないようにしたい…

若い人にも、年老いた人にも明日は誰一人として約束されていないのだということを。

そう、愛する人を抱きしめられるのは 今日が最後になるかもしれないということを。

明日を来るのを待ってるのなら、今日でもいいはず。

いつでも言えるのなら、今でいいはず。

もし明日が来ないとしたら、微笑みや抱擁やキスをするためのほんのちょっとの時間を、どうして惜しんだのかと。

忙しさを理由に、その人の最後の願いとなってしまったことをどうしてしてあげられなかったかと。きっとあなたは今日を後悔するだろうから。 

だから今日、あなたの大切な人たちをしっかりと抱きしめよう。

そして、その人を愛していることを
いつでもいつまでも大切な存在だということをそっと伝えよう。

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を持とう

そうすれば
もし明日がこないとしても、あなたは今日を後悔しないだろうから…

そして

 完璧じゃなくてもいい
 一言でもいい
 一度で伝わななくてもいい

一生かけて素直な気持ちを伝えて続けていってみよう!

 

明日が当たり前のように来ることは奇跡なんだから。

基本的信頼感はいつ作られる?

悲しい気持ちになりました…

若いママさんが電車の中で大きな声で泣いている赤ちゃんを、一生懸命に周りを気にしながらあやしてる場面に出くわしました。中には、怪訝そうな表情で母子に視線を向けるサラリーマン、女性の姿も見られましたね。すぐに泣き止みましたけど、視線を向けた人たちに言いたい。「あなたは周りを気にして泣くような赤ちゃんだったのですか?」誰にもそんな不機嫌に大泣きする赤ちゃんの時代があったのに…、忘れてしまってるんですね。なんか知らんけど悲しい気持ちになりました。

 

「基本的信頼感」は赤ちゃん時代に作られる


赤ちゃんの泣き声に応えることは、基本的信頼感を育む第一歩ですね。赤ちゃんは、お腹がすいたり飽きたり不愉快だったりすると…、電車だろうがカフェだろうが静まり返ってる待合室だろうが周囲の状況などお構いなしに泣き叫びますよね。


赤ちゃんは、泣くことで今の自分の気持ちを表しているんですね。


一昔前の育児論では「抱き癖がつくから、赤ちゃんが泣いてもすぐに抱っこしないで!」なんてのが常識でしたね。「泣くたびに抱っこすると、赤ちゃんは抱っこを求めて甘え続け、わがままになる。」っていうのがその理由だったりして。でもほうんとうのところ、それって親側の面倒くさいが基準だったりして^^;

 

赤ちゃんの方も泣いても取り合わなければ、たしかに赤ちゃんは大人しくなるんですね。しかし、これは泣くことで赤ちゃんは、自分の感情を表現することを諦めてしまうからなんですね。このように泣いたり笑ったりをあまりしない感情表現の乏しい赤ちゃんのことを「サイレント・ベビー」なんて呼んだりします。


サイレントベイビーは、赤ちゃん時代は育てやすいのですがそのまま成長すると人間関係をうまく築けない人になってしまう可能性があるんですね。


発達心理学者のエリクソンは「基本的信頼感」は赤ちゃん時代につくられると説きました。この、基本的信頼感とは「人も世界も、自分自身も信頼することができる。」という感覚といえばいいでしょうか。これは、人間が初めて獲得する心の発達課題なんですね。


この基本的信頼感がなければ人は、家族も信頼できず、人とかかわりあって生活することができません。自分が生きている世の中も、信頼できないのでいつでも不安でいっぱいになってしますんですね。自分自身ですら信じられないので生きていく自信が湧いてこないのです。


基本的信頼感はまさに「この世界で安心して生きられる。」という感覚なんですね。


今、めんどくさいって思ってたら、少しずつ改めて接してみましょう‼︎


十数年前に離婚して、途中から僕は、一人で3人の子育てを経験しました。そうクロスワンなんです。だからあのとき、「もっとこうにすれば良かった」なんて思うこと、考えることもありますね。そして、できることならもう一度全く同じ我が子3人の子育てをしたい。


でも、どんなにお金を積んでも、祈っても叶わない。そう、いつかは終わってしまう子育ては、2度と味わうことはできないんですね。


だからこそ今、この瞬間の全てを楽しんでいきましょう♬


今日からの子育てが少しでも変わってくれたらいいなと想いを込めて、必要な人の心に届きますように…

 

 

日常で泣いている赤ちゃんを見たら、一生懸命に信頼感を構築してるんだなと思って広い心で微笑んであげて欲しいと思います。

70億分の1のキセキ…

世界人口70億として…


そんな数の中から奇跡的に巡り会うってすごいことだよね。

 

1秒に一人ずつあっても221年もかかるんやで

 

いくつもの偶然のキセキが重なって僕たちは出会える

 

そうやって出会える「キセキ」に感謝しなくちゃいけないね。

 

まさに70億分の1のキセキだよね。

 

それでは、僕から繋がってくれているみんなへ

 

出会ってくれて心からありがとう

周りの音、ちゃんと聞えてますか?

 

「周りの音、ちゃんと聞こえてますか?」


人は、1日に5万回も
あれこれと心のなかで考えていると言われていますよね。

 そのほとんどが
 過去の過ちを悔やんでいたり
 未来に不安を抱いてみたりと

いつも意識が「過去」と「未来」に向いている。

今、あなたにどんな悔やむ過去がありますか?

 

 「もっと勉強しておけば良かった。」
 「好きなところに旅しておけば良かった。」
 「ちゃんと謝れば良かった。」
 「素直な気持ちを伝えとけば良かった。」
 「もっと好きなことやれば良かった。」

まだまだ色々他にもあるかもですね。

そして人は、同じような出来事に出くわすと
今まで忘れていたその過去を思い出したりしてしまうんですね。

過去とは
 「過」ぎ
 「去」ったと書くんです。

そう過ちは、去ったものなんですね。
そして
その過去の出来事は、すり替えることや無かったことにはできないんですね。
そう、どうにもならないことなんですね。

誰にもどうにもできない出来事なら、考えても仕方ない。
誰にも変えることはできない。

悔やんだりやり直したと思ってしまうのは仕方なくても
自責したり、反省したりする必要は全くないんですね。

そういう過去があった。
その事実だけでいいんですね。

誰もその事実を変えることはできないんだから。

今、あなたにどんな不安な未来がありますか?

 

 「振られたらどうしよう?」
 「クビになったらどうしよう?」
 「子供が巣立ってしまったらどうなるんだろう?」
 「これからどうなるんだろう?」
 「お金がなくなったらどうしよう?」
 「病気になったらどうしよう?」
 「独りになったらどうしよう?」

などなどこちらもたくさん出てきそうですね。

しかしそれは、まだ現実に起きていないのに過ぎ去った過去の嫌な記憶から
人は、未来を不安だらけに変えてしまうんですね。

 「未」だ
 「来」ていないと書いて未来なのに。

そう、その不安に思うことは未だ来ていないものなんですね。
まだ来ていないものは、やはり誰にもどうすることも出来ないですよね。

どうすることも出来ないものを、考えている時間は勿体無いですね。
大概のことは、起きてから何かを考えても間に合うんですよね。

どうにもできないものは、誰がやってもどうにもならない。

一休さんじゃやないけど、屏風の中から虎を出してもらわなきゃ捕えることはできないんですね。

過去や未来にとらわれないで生きていくにはどうしたらいいでしょう?

 

今とは…、そう「現在」ですね。
 「現」実に
 今ここに「在」るのが現在ということです。

過ぎ去った過去の過ちや
未だ来ていない未来に不安を抱いているということは
あなたの心が「今」ここにいないということなんですね。

どんなに努力しても、頑張ってみても
色々な学びをしても、
過ぎ去ってしまったものは変えられないし
未だ来ていないものもどうにもできないんですね

ただ、たったひとつだけどうにかできるのは

「今」だけなんですね。


人は、心が過去や未来にとらわれている時、自分の周りの音すらも聞こえなくなっていることが多いんです。

呼吸=息です。

「自分」の「心」と書いて息(呼吸)

過去と未来に囚われて、色んなことを思考しているときは
目を緩く瞑り、ゆっくりと呼吸してみてください。
そしてその呼吸に集中だけすると「今」に集中できます。

街の雑踏や鳥の囀りさえ音楽に聞こえたり
季節の匂いや風の優しさを感じたりと
今まで気が付かなかったものを身体全体が、そして心が感じてくれ始めます。

もしあなたが、過去や未来に心を奪われているのを感じたら
まず、深い深呼吸をして周りの音を感じてみてください。

そうやって、心を「今ここに」戻してみよう!

英語で
 「過去」は、「Past」
 「未来」は、「Future」
 「いま」は、「Present」というんですね。

 

あなたが
わがままに
なんでも自由に好きにしていいよっていう 
神様からのギフト(Present)が「今」ということですね。


さぁ、ゆっくり深呼吸をして今この瞬間を感じてみましょう!

対立した時のあなたが持っている種はなんだろう?

対立した時のあなたが持っている種はなんだろう?

「戦い」ですか「協力」の種ですか?

あなたが誰かと対立したときに 「そうじゃないよ」 と自分の意見を押し付けようとしても、たとえあなたの意見が正しいものであっても反対意見を持っている人の心には届かない。

なぜならいま相手は、あなたの意見とは真っ向対立している考えを、 「自分の意見の方が正しい」 と思っているから。

お互いに自分の意見の方が正しいと対立したらどうにもならないのだろうか?

意見が対立しているときのあなたの前提はなんだろう?

どうしても解決策、妥協点を見出したい時のあなたの前提は「戦い」ですか?それとも「協力」ですか? どちらの種だろう。

戦いだとしたら

「あなたの意見が間違っている、僕の方が正しいからあなたが従うべきだ。」

と互いに譲らない最悪の状況になってしまう。

協力だとしたら

「そうか今あなたはそうに思うんだね。」

と相手の意見を飲み込んで受け入れる事ができる。

自分の意見を受け入れられた場合と否定された場合で、相手に対して感じるものが変わってくるよね。 意見が対立している時というのは、互いの意見の方が正しいと思っているから相手が見えない。相手の立場に立ってみなければ相手の思いや感情は分からない。

だから大切なことは、相手の立場に立って、相手より先に自分の方から相手の意見を一旦、受け入れる。 すると、相手にもこちらの意見を受け入れるスペース、そう心の余裕ができるんだ。

一旦相手の意見を飲み込んだ時の次にかける言葉は何がいいだろう?

「そうなんだね、なるほど…、それも良い案だと思うよ。僕は、こう考えているんだけど、こんな案はどうだろうか?」

どちらが正しいのかではないんだよね。

お互いにとっては、

自分が言っている意見の方が正解だ、正しいんだ。

と思っているだけなんだよね。

意見が対立しそうな時に大切なことは、

相手を正そうとする」のではなく 「相手を分かろうとする」事が解決の第一歩なんだ。

 

あなたの前提が「戦い」だと意見はぶつかり合うだけだけど

あなたの前提が「協力」になれば必ず良い結果に導かれる。

対立した時にあなたはどちらの種を開花させたいですか?

戦いの種ですか?協力の種ですか?

対立者は、良き協力者だ!

大人は楽しいぞを伝えよう

どうして夢を描く子どもたちが少ないのだろう?

僕が幼少の頃は、楽しそうにしてキラキラした眼差しで夢を語り、笑顔で遊んでいる大人が多かった。

しかし今は…

子どもが未来に夢を描かないのは、大人が楽しんでいないからだと僕は思うんだ。

大人が夢を語り、今を楽しんでいたら、笑顔で楽しく生きてたら

「僕も早く大人になって楽しみたい♬」

って間違いなく子どもは、早く大人になりたいって思うはず。

今の大人ってどんな感じなんだろう?

今の大人の大半は… いつも誰かに対して、愚痴や文句ばかり言ってる人が多いよね。  

 上司に、  

 部下に、  

 同僚に、  

 パパに…

 

それはいつも本人がいないところで…

夢を誰かが語っても、その時はウンウンって聞いているのに いなくなった瞬間に

「そんなの無理だよ。出来るわけないよ。時間ないし…。」

あるいは、面と向かって子どもの夢さえも否定する。

大人は子どもたちに何を伝えたらいいんだろう?

いつもそんな愚痴や文句ばかり言ってる大人になりたいだろうか?

もし君が子どもで、夢を否定されたら?

そんな大人になんか、誰が考えたってなりなくないと思わないかい?

子どもたちが、夢を語る時に僕はいつも伝えていることがある。

「もし誰かが君の夢を、無理だと言ったら、そんな大人や仲間たちを信じなくていい。その人たちは君に成功して欲しくないから言っているんだ。そんなの仲間じゃない。やってみようじゃないか。きっとできるさと夢を語れる仲間を周りに増やしていこう。」

そんなことを話して、子どもたちの夢を大切に聴くことにしている。

僕たち大人たちは、今をどうに生きたらいいのだろう?

それは、どんなところでも、自らいるところで、与えられた環境で…

自ら楽しんで見せて、笑顔で楽しんでいられるのが大人だということを肌で感じてもらえるようにすることだと思う。

「いいか子どもたちよ、大人は楽しーぞ♬ 夢は、必ず叶う。夢の途中も、失敗もまた楽しいぞ♬」

って

僕たち大人の一人ひとりが、先ずあなたが伝えよう!