Like a Rolling Stone〜転がる石のように

湘南在住。心理カウンセラー新居が自由に気ままに感じたこと、カフェ会やセミナー情報を発信しています。

子から母へ、、、

🎙母の日に…


誰より尊敬する母、、、
なんていうかあちらで必要とされて59歳でひと足早く星になったんだよね。そんな母との思い出を、ひとつ。


何年もの間ずっと、異常出血が続き何度も産婦人科に通ってた母。あるとき、癌と分かってから言ってたけど

 

「自分が癌ってのを受け入れられなかったんだよ。寂れてく自分の美容院を閉めて病院に行ってその間に、年々一人減り二人減りしても、僅かな常連さんたちが来てくれて、もし、閉まってたら申し訳ない。それが心配でね」

 

と言い訳にしてたけど本当は、

 

「怖かったんだよ…」


学生時代は、ソフトボール部。エースで四番✨✨

そして僕が物心ついてから、弱音なんか吐いたことない母が、その時ばかりは初めて弱々しく見えたよ。


そして手術の日、僕の顔を見据えてひと言

 

「アツ、分かってるな?」

 

ただそれだけ…

そして手術室へ向かう母はとてもにこやかに笑っていた。

 

待ってる間に父がポツリ呟く、、、

 

👱🏼‍♂️「アツヒト、遺言書渡されたか?」

🐨「貰ってないよ。」

👱🏼‍♂️「俺とタカミツにはあったんよ。でもアツのは見つからなかったんだよな。」

🐨「そうなんだ。」


そして沈黙…ちょっと寂しい気もしたけど

「事あるごとに色々話を聞かされてたからかな?」

と、僕はその事実を、そんな風に考えてた。


手術が成功して癌が切除できて、まだまだ時間はたっぷりあると、父も弟も、もちろん僕も、そして、誰もが思ってたよ。しかしランプが消えるのに
1時間かからなかったね。


そのとき、父がポツリひと言

👱🏼‍♂️「手の施しようがなかったのかもな。」


「お腹を開いて全てが切除できないなら何もしないで閉じて下さい」

ってのが母のお願いだったから、、、


医師から出された診断は

「余命1カ月」

目が覚めてDr.の話に耳を傾けたあと僕たちを目の前にして言い放った一言。

「心配する事はない!私が死ねば癌は死ぬ、、、
ザマァみろだ!」

 

でも母は、、、
5年半生き続けてくれたんだけどね。

 

そう、、、

「これからたくさん親孝行しよう」

と思った時にはもう居ない…


時間は「無限」ではなく「有限」なんだ。


どんなに嫌な親だろうと、たとえ、辛い記憶しかない親だろうときっと親は、その瞬間、それがベストかなと思い込み、ソレしか選択しか判断できなかったんだよ。そう、良い悪いじゃなく、ただそれしかできなかったんだよ。

 

親だって人間、初めての人生経験で、もがき悩み
足掻きながらベストを尽くしてたんだよね。そのときにならなきゃ分からないことだらけ、親になって気づくことだらけ。

 

出来事は、人生の一つの課題
「許し」
を学ぶための経験かなと、、、


あのね、できるうちに親孝行しとかないと、きっと後悔する。絶対に後悔しないと思っても、ふとしたタイミングで何かに気づいたとき、きっと思うことがあるよ。


僕にとって、限られた時間ででしか返せなかった、その母の愛に

 

「ありがとう」

 

って今、すぐに伝えられる人が、僕には、めっちゃ羨ましく思えるよ。


みんな勇気をだしてありがとうを伝えてみてな。


そして僕は、、、

 

母の日に、天国の母に感謝を込めて

 

産んでくれて
育ててくれて
アホなのに全て受け入れてくれて
いつも笑顔で返してくれて
「失敗しろ」って言ってくれて…

書ききれないけど
心からありがとう。


もう遅いと思わないであなたも
今は亡き人に
その言葉は届くから伝えてみよう!

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