Like a Rolling Stone〜転がる石のように

湘南在住。心理カウンセラー新居が自由に気ままに感じたこと、カフェ会やセミナー情報を発信しています。

父さんへ

父が厳しかったのは、、、

いつだったか忘れたが、母が亡くなって何年か過ぎたある日に訪ねてきて

 

「母との結婚を反対されて、、、」

 

と本当は何が原因でかどうかは、父の意見しか聞いてないから分からないけど、それが原因で、勘当されて家を飛び出したと話し始めた父、、、


勘当された父は、同じ街に住む両親に何度か出会うことがあったらしい。そんなあるとき、バッタリ出くわし、互いに目が合って認識したのに

 

「あんた誰?みたいな顔をされ無視されたんだよ。寂しいけど、現実は、そんなもんだよ。」

 

って言ってたのを思い出した。

僕が生まれた時も会わせに行ったらしいけど、、、

 

「何しに来た?って感じで歓迎されなかった。」

 

と話してくれた。


父は、きっと寂しくて悲しくて仕方なかったと思う。それ以降は、会いには行かなかったとも言っていた。その意志の強さは、親の死に目にも葬式にも顔を出さなかった。


僕と父との関係のようにギクシャクして、僕たち親子は、分かり合えたけど、父さんたちは、修正が間に合わなかったんだね。きっと父も、そして父のご両親も初めての経験ばかりで、どうしていいか迷い、悩み、互いに素直になれなかったんだね。


三人兄弟の真ん中、向こうっ気が強い次男坊の父。極真空手を習い、がたいも身長が小さい割には良かった。母からは首が短いからよく

 

「シャンプーのボトルみたいな」

 

と笑われていたけど、、、


そんな父を、僕は幼少期からあまり好きになれなかった。それは、まさに手が早くて気が短いを絵に描いたような性格だったからかも知れない。母にも事あるごとに

 

「すぐ子どもに手をあげるのは欽也ちゃんの嫌いなとこ。」

 

って言われてたね。それなのに頭に血がのぼると、手を出すことを抑制できないでいたね。だから僕は、何かにつけて叩かれた記憶が多く残っている。

 

「いい高校へ、いい大学へ行かないといい就職先も見つからない!」

 

それが父の口癖で、きっと地元の商業高校出身の父は、苦労した経験からそう言ってくれていたのに違いない。そうに言われるのと手をあげる父が嫌で、、、親心なんて、当時の僕には理解する術はなかったよ。


きっと

 

「自分の子には、自分と同じように苦労はさせたくない。」

 

そんな念いからだったんだと思う。そして父もまた初めての子育てで、表現方法や伝え方を知らなかったんだね。


散々、叩かれて泣いて、挙げ句の果てに

 

「全くこの馬鹿!」

 

と罵倒されてその場から立ち去る父に、いつも内心ホッとしてた。そう、まるで嵐が過ぎるのをジッとして待つ心境で、そんな時に母は、優しく

 

「頭に血が上ると手がつい出ちゃうけど悪い人じゃないから、早く涙を拭いても少し頑張って。」

 

と優しく言葉をかけてくれた。母の言葉は嬉しかったけど、心のなかでは

 

「優しくなんかあるかい?」

 

って思ってた。でも、ほんとにそうだったのかも知れないと今なら思える。


お節介が過ぎる性格で、他人とよく揉めたこともあったけど、父を頼る人が多かったのも事実で、18歳で世間に出て、19歳で親から勘当され、家出して家庭を持った父。色んなことを誰にも相談出来ずに一人頑張っていたんだと思う。故に、表現方法だったり伝え方だったりを、独学で失敗しながら学んでいたんだと今思う。


時が経ち、僕も親になり父と同じ子育てを、また離婚と言う父が経験しなかったことも経験した。人は、その時が来てみないと理解できないことがたくさんある。それは早くもなく遅くもなく必要なタイミングで、、、


心理学を学んだことで、ずっと蓋をしてた念いを父に伝えたことで、僕たちは父子の固まってた心は、少し溶け始め出した。そして僕に、許しの心を芽生えさせてくれた。

小学生の頃、父に

 

「文書を書くときは、起承転結を考えること。伝えたいことを素直に伝えること。読む人が読みやすいように、理解しやすいように句読点は、しっかりつける。書いたらよく読見返してごらん。どこで息継ぎするんだ!ほんと何度言っても、アツはバカだ!」

 

といつも言われて、文書を書くのが大嫌いだった。


そんな僕が文書やらをblogやらなんやらよく書いてる。しかも父に言われ続けていたことをいつも考えながら(笑)感謝しなきゃだね。


いま父さんとは、離れて暮らしてるけど、、、
いつだったか句読点の全くないメールで

 

「子の事を考えない日はない。この幸せを願わない日もまたない。」

 

と伝えてきてくれたことがあったね。あのときは、素直に嬉しくて、すぐさま返信したけど、それに対しては相変わらずの反応なしで(笑)


僕にも、子どもが三人いて、今は、みんな成人してそれぞれの生活をしている。


音沙汰ない日が何日と続くけど、ほんと父さんの気持ちがよく分かるようになったよ。一日たりとも三人の子たちの幸せを願わない日はない。何してるかなと考えない日もまたない。

 

父さんが厳しかったのは僕を思ってのことだったんだね。


ほんと心から感謝してるよ。

 

「父さん、大嫌いだったときもあるけど、僕は誰よりも父さんの子で居られることを誇りに思っている。そして、誰より父さんを尊敬しているよ。」

 

僕から連絡する事を極端に嫌う父、何故なんかな?と答えを知りたかったこともあるけど、今はそんな理由はどうでもいい。勘当されて、父さんも親にした事ないから、きっとどうに対応していいのか戸惑ってしまうのかも知れないね。

 

父さんがいつも僕たちの幸せを願っているように、僕も父さんのこと湘南より思っているよ。

 

心に抱いた念いは、時空を超えて伝わると信じてるから、、、


父さんの笑顔が絶えませんようにと心を込めて祈っているよ、、、


ありがとう、父さん。

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